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ファッションについて

GAPの始まりと歴史

今までフランスを代表するブランド、イタリアを代表するブランドの歴史を紹介してきましたが、
今回はアメリカにスポットを当てたいと思います。

アメリカを代表するブランドと言えば、ティファニー、ハリーウィンストンといった高級宝石商が
誰もが憧れる有名なメゾンが挙げられますよね。
その他にマイケル・コース、トミーヒルフィガーといったブランドもありますが、
今回は日本でもファストファッションの代表格としてお馴染みのGAP(ギャップ)の歴史を紹介したいと思います。
また、アメリカファッションの歴史にも少し触れたいと思います。

まずはGAPブランドの始まりから。
GAPは1969年、アメリカのサンフランシスコでジーンズ専門店として設立しました。

世界中で約4000店を持つ非常にグローバルなブランドで、企画、生産、販売まで一貫して行うのが特徴です。
GAPの他に、オールド・ネイビーとバナナリパブリックといったブランドを展開しています。

創業は、1969年、アメリカ、サンフランシスコのジーンズ専門店(リーバイスなども取り扱った)を始めたところにあります。
創業者はドナルド・フィッシャー(Donald Fisher)。
成長に伴い、衣服、アクセサリー、子供服としてラインナップを増やしていき今のかたちになりました。

ファッション

GAPのコンセプトは「クリーン、オールアメリカン、シンプル、グッドデザイン」で、
基本は、トレンドに左右されないベーシックなデザインにありますが、
時代の流れ、シーズンによりトレンドを取り入れながらデザイン性の高い製品も展開しています。

GAPの成長はライフスタイル提案型の展開にあるのが特徴といえます。
コマーシャルにはミュージシャン、ダンサーなどを起用して、GAPの製品を超えた、
ライフスタイル、着ることへの楽しみなど、イメージに訴えたCMや広告を展開。
日本でも山手線を丸々ジャックした目立つ広告は見たことがある人も多いはず。
ボブディランもCMでコラボレーションしました。

さらにGAPはファッション業界のシステムに、一つの流れを作り出しました。
それは、デザイン、製造、物流、販売、マーケティングを自社で一貫して行うもので、
このような製造販売のスタイルはSPA型の運営という一つの流れを作り出したのです。
この手法で、世界で統一したイメージを作り出し、ライフスタイルの提案をより強固なものとしました。

同様の手法をとるブランドが、スウェーデンのH&M、日本のユニクロ、スペインのZARA、
イギリスのトップショップなどにあたります。
今ではハイブランドをしのぐほどのファストファッションと呼ばれるメーカーの先駆けがGAPなのですね。

ファッション

では、GAPを生み出したアメリカのファッションに注目してみましょう。

30年代以前のアメリカファッションの主流はパリのオートクチュールのコピー品であり、
依然としてパリがアメリカでも強い影響力を持っていました。
1930年代あたりから、アメリカは徐々に自国のファッション、アメリカンスタイルを意識するようになります。

ただ、クリスチャンディオールのニュールックがアメリカでも話題になったように、
すぐに移行した訳ではなくパリの影響を受けながらも、アメリカ流の要素を加えるなど、
30年代から40年代にかけて、アメリカのスタイルを意識したファッションへと変わっていきます。

そもそも、なぜアメリカンファッションへの移行を意識するようになったのか、変化の背景を見てみましょう。
20世紀初頭から産業合理化、既製服化の動きがすでに起こっていました。
この動きの中で、仕立てを前提としたファッションデザインではなく、
} 機械生産を前提とした、量産型のファッションの流れがありました。(デザインもシンプル化します。)

30年代からは、ファシズムや共産主義などのイデオロギーが主張される中、
アメリカは民主主義を強く強調する必要があり、
国としてさまざまな分野のアイデンティティを主張する必要がありました。
その一つがライフスタイルであり、ファッションへと影響したのです。
国家的なレベルで、アメリカ流のライフスタイル、アメリカ流のファッションが求められていたのです。

また40年代の第二次世界大戦も女性のファッションに大きな影響を与えます。
それは中流階級でも、女性が労働をすることが当たり前となり、衣服にも「動き」が求められるようになったからです。
このような流れは戦後のアメリカのカジュアルなファッションへと繋がります。

その他、戦時中で言えば、パリのモードが機能していなかったため、
アメリカは独自でファッションを作っていかなければいけなかったという要因もあげられるでしょう。

ファッション

30年代あたりから百貨店・小売店はアメリカのデザイナーや製品を強く打ち出すようになります。
この流れの中で「アメリカンルック」という言葉が生まれ、このシンボルとして取り上げられたのが、
当時最も活躍していたデザイナー、クレア・マッカーデルでした。

クレア・マッカーデルが打ち出したスタイルはスポーツウェア(カジュアルウェア)をベースにした、
シンプルかつ性能製の高いファッション。
彼女はヴィオネの影響を受け、バイアスカットを使用した、着心地の良いデザインを追及します。

このようなスタイルの普及にはハリウッド映画も大きく貢献しました。
30年代に活躍した女優、ジョーン・クロフォード、グレタ・ガルボ、キャサリン・ヘップバーンなどが
大きな影響を与えます。

マッカーデルはこの時代、衣服の上下が分かれているセパレーツや、
キッチンディナードレス(料理ができて来客にも対応できる服)、
デニムを使用した服の上からはおるドレスポップのオーバー、
ジャージー素材を用いたハイウエストでルーズなベビードールドレス、
バレエシューズを日常用の靴に応用したデザインなど、シンプルかつカジュアルなデザインを提案します。

さて、「ジャージー素材を取り入れた」と聞いてピンときませんでしたか?

そうです!
フランスでジャージー素材をいち早く取り入れ、女性をコルセットから開放し活動的なデザインを打ち出した
ココ・シャネルです!

シャネルとマッカーデルの方向性は非常に似ていると言われています。
シャネルが活躍したのが10年代以降。
マッカーデルは30年代と時代ははずれていますが、
男性用の素材、労働服にインスピレーションを受けている点、スポーツウェア、装飾よりも機能性、シンプル化…
とさまざまな共通点があります。
マッカーデルは20年代、フランス留学の経験があるので、シャネルの影響を少なからず受けているでしょう。

二人の決定的相違点がありました。
それはシャネルはオートクチュールであり、高所得層にフォーカスしたデザインだったのに対して、
マッカーデルは既製服を意識し、幅広い層に向けてファッションを発信していた点です。
マッカーデルは既製服の限界・制約の中で、
バイアスカットを用いて女性の身体を最大限考慮したデザインを展開しました。

これは60年代に出てくるクレージュとマリークワントのミニスカートに対する考え方の相違点と近しいものがあります。

この相違点こそ、当時のアメリカのライフスタイルから生まれた、
アメリカンスタイル、アメリカンウェイの本質を示すものではないでしょうか。
パリとアメリカはファッションのスタートラインが全く異なっていたのです。
まさにGAPの誕生にもふさわしい背景があったのですね。

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