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ファッションについて

ファッションについて

「ファッション」についての薀蓄を少々…。

語源はたいていの言葉がそうであるように、「ファッション」もラテン語が語源だそうです。
ラテン語のfactio(ファクティオ)の元の意味は『作り・出来ぐあい』です。
その後フランス語のfacon(ファソン)となり、英語のfashion(ファッション)となっていきました。
いずれも『流行』や『流行の型』といった意味合いが一番強く、上流階級の慣習、様式を指し示していたようです。
さらに『方法』『様式』や、『作り』『型』といった意味も含まれています。
また、生活行動の中で、ある一定の時期に、ある価値観に基づく共有できる現象が、
少数から多数へと移り変わっていく現象のこともこう呼ぶそうです。
つまり今で言う『服装』のことだけでなく、思想・言語・芸術といった無形のものから、
衣食住などの生活様式までもを含む「はやり」を表す言葉であったようですね。

とはいえ、現在では『服装流行』の意味がメインとなっており、
ある特定の期間に人気を得て一般に広まったスタイルや、服装の同義語として使われています。

薀蓄ついでに同義語も少し調べてみましたので補足しますね。

フランス語のmode(モード)はfashion(ファッション)の同義語で、
イタリア語はmoda(モーダ)、ドイツ語ではmode(モーデ)となります。
『流行』を表す言葉としては英語・フランス語共にvogue(ヴォーグ)があります。
派生語のfashionable(ファッショナブル)はフランス語ではa la mode(ア・ラ・モード)。
スウィーツのネーミングでもお馴染みなので、女性なら誰もが知っている言葉かと思います。
英語のfad、boomなどは短期間の流行を指し示し、
customとなると流行が定着し長期的な慣習として残ったもののことを言います。

ファッション

人間が「衣服」を「衣装」として身に纏うようになってから、
「衣装」というものは人と一体化しその人そのものを表すようになっていますが、
個人としての意思表示をする反面、社会に順応する手段としての機能もあり、存在としては矛盾するところがあります。
言い換えれば、最先端を行こうとしたり、
人とは違った自己表現をしたいがためにオリジナルの着こなしをするかと思えば、
TPOに合わせた着こなしも必要不可欠であり、
その場に合った服装をすることで社会に順応し安心感を得るという心理が働くということです。

この対立構造はファッションには必要不可欠なことであり、
この現象を繰り返すことによってファッション業界が発展して来たのだと思います。
人間の欲求の中にあるアイデンティティーの確立に孤立化や斬新さが加わって新しいファッションスタイルが芽生え、
人々の共感を得て一つのファッションが成立する。
しかし、この現象が広まりすぎると更なる欲求を求めてまた新しいスタイルを確立しようとする。
これが「ファッション」=「流行」の構造となっているのですね。

fashion cycle(ファッション・サイクル)「ファッションの周期」は、
発生→伝播(でんぱ)・拡大→頂点→衰退→消滅というプロセスで1つのパターンとなりますが、
この周期を時間的に予測することは出来ません。
まぁ、当たり前のことですが、
その時々によって人々のニーズや次に発生してくる新スタイルの時期など決まっているわけではありませんからね。
それにしても近年のファッション・サイクルはだんだん短くなってきているようにも思えます。
それに加え、大幅なファッションの転換というよりは、
細かい部分での自己主張が多くなってきているような感じですね。

今のファッションを引っ張っている女の子達のパワーと発想の斬新さには目を見張るものがありますね。

ファッション

ファッションは、人間の自己主張表現の大きな特徴であることは前述の通りですが、
人の欲求はとどまる事をしらず、美的・精神的、更には社会的な充足感を得るためにも利用されます。
どうしても女性ファッションを中心に話が進んでしまいますが、
女性の存在がファッション業界を引っ張ってきているのは事実ですよね。
具体的にスカート、ハイヒールなどは形を変えながらもあらゆるデザインが生み出されました。
一見機能的ではなさそうなデザインでも、女性にとっては非常に効果的な衣装です。
例えばずいぶん昔のロココ時代のバルーン型のスカートや
1900年代初頭の女性的なシルエットのS字型スカートなどです。
こうして変貌していくファッションは精神的にも刺激を与え、活性化の元となっていったのでしょう。
そして次から次へと新しい美を追求したことにより、
文化として社会現象を引き起こすまでになっていくパワーの源となったのだと思います。

また、ファッションの発展の要因として他に考えられるのは、
金銭的な余裕、時間的な余裕、交通・輸送・伝達機関の発達などがあります。
各国の流通が盛んになった20世紀には世界的なビジネスとしてのファッションが確立しました。
アメリカ、フランス、イタリアなどファッションの中心地となっているそれぞれの都市では、
歴史的背景や環境により別々の発展をしてきましたが、
今ではそれぞれの情報を取り入れ影響を与え合いながら現代ファッションとして全世界共通の発展を続けているのです。

ファッション

ファッションの歴史 Part.1

ファッション、服装、衣装、服飾…。
身に着ける衣服を形容する言葉はいろいろありますが、このブログは「ファッション」という単語に限定しようと思っています。
というのは、誕生や歴史を語ろうとしたときにどこまで遡れば良いのか非常に悩むのです。
人類が他者を気にして何らかの物を身につけるようになってからの歴史だとあまりにも範囲が広すぎるので、
「ファッション」の本来の役割である「流行」を意識した服装が登場してからのことを中心に書いていこうと思います。 
服飾史をなぞっていこうと思ったのですが、「服飾」だと小物なども入ってくるようなので
結構際限なくなってしまいますし、そもそもタイトルが『ファッション』ですからね。

そういう観点からすると、ファッションの発生と誕生には社会の側にそれなりの条件が必要になってきます。
たとえば、古代社会や中世封建社会における階級制は生活を規制するので、自己表現をすることは困難です。
こういった社会では、人々は伝統・慣習に従って生活するため、ファッションの発生は難しいでしょう。
ところが階級制や身分があいまいになってきた近代社会、それも都市部においては、
新しいスタイルは比較的自由にうまれたはずです。 
したがってファッションは、近代辺りから発生し、民主的社会においてより活発に展開していったのではないかと思われます。
そして、経済的・時間的余裕はさらにこの傾向を促進させ、売買の活発化により平均的な最低物資が充足され、
日常生活がある水準に達した段階で人々はファッションを積極的に活性化させていったのではないでしょうか。

ファッション

西洋史における近代、即ちルネサンス期以降欧米各地での市民権運動が活発になったことから、
衣服を「ファッション」として認識するようになってきたと見て良いのではないかと思います。 
今でも、定期的に新ファッションの発表を行っている地域に限定し、簡単に変遷をたどってみます。

●パリ(フランス) 

15世紀以来、国家的産業としてファッションを保護し続けたフランス政府の意向を受け、
宮廷社会の衣装を創作する芸術的感覚と高度な技術を生み出すための地盤を築いたパリは、
18世紀までに「パリ・モード」の名声を手中にしていました。
19世紀になるとシャルル・フレデリック・ウォルトによりhaute-couture(オートクチュール)が誕生し、
以来ポール・ポワレ、ココ・シャネル、クリスチャン・ディオール、クリストバル・バレンシアガ、イヴ・サン・ローランなど、
現在まで名を残すような才能あふれるデザイナーが登場し次々と新しい流行を生み出すようになりました。
そして1960年代以降、preta-porter(プレタポルテ)がファッションの主導権をとるようになった今日も、
ファッションの中心地として、常に世界をリードし続けています。 

●ロンドン(イギリス) 

18世紀以来、パリとロンドンはファッションのライバルとして競い合ってきました。
19世紀になると、パリの方が、ナポレオン3世の后であった美貌のユージェニー皇后を
ファッション・リーダーに擁しリードを奪いました。
一方、ロンドンの社交界には皇太子の友人であり、伊達男とうたわれたブランメルが登場し、
ダンディズムの素となると共に、メンズ・ファッションに大きな影響を与えました。
19世紀にほぼ近代的様式が確立された紳士服は、以後しだいに形の厳しさと正確さとを増し、
ロンドンはその中心地として今日に至っています。 

●ミラノ(イタリア) 

今では近年パリと肩を並べるほどのファッションの発信地となったミラノですが、
ルネサンス以後、綿々と高度な職人的技術と芸術的センスを受け継いでいながら、
イタリアの国家的統一の遅れといった政治的事情により
ファッションの中心地として主導的立場にたつまでには至りませんでした。
しかし従来から、フランスファッションの生産基地として徐々に力を蓄えていたこともあり、
1970年代以降ミラノ・コレクションを開催し、独自的で日常的高品質ファッションを生み出して
注目を浴びるようになりました。

●ニューヨーク(アメリカ) 

19世紀半ば以来、ミシンの発明と南北戦争とにより紳士用既製服を産業化したアメリカでは、
その後20世紀初めにかけては婦人用既製服産業を成長させました。
以来ニューヨークは、オートクチュールからプレタポルテへと移行していたヨーロッパ各地の流れに従い
急激な成長を遂げ、今日の既製服産業最大の中心地となっています。 

このように現在世界には、歴史的背景と環境の特徴を生かしながら
ファッションを生み出しているいくつかの都市があります。
しかし、今後ますます発達する情報伝達メディアにより、相互に影響を与えあうことによって、
世界的に均一化の方向をたどるのではないかと思われます。

ファッション

ファッションの歴史 Part.2

一方日本でのファッションとはどういった経緯をたどったのでしょうか。
まず、容易に想像できるのは「歴史が浅い」ということです。
というのは、欧米からの影響を受けて取り入れられたファッション、いわゆる「洋服」に限定して考えると、
150年程度しか経っていないということになりますね。

日本で服装の西洋化が広まるようになった直接的な要因は1858年の日米修好通商条約だと言われているようです。
この条約により各地の港が開かれ、役人や通訳など直接外国人と交渉をする立場の人々を中心として
広まっていくことになりました。

以前、1543年に種子島へポルトガル船が漂着した時から鎖国までのしばらくの間にも、
一部の大名などには西洋の服飾は流通しており、
江戸時代末期には長崎の出島などでは特別珍しいものではなかったようですが、
全国区という意味合いでは条約以降でも良いかと思います。 

日本においての洋服の大量生産のキッカケは戦争でした。 
記録に残っている限りでは、1864年、禁門の変を理由に長州征伐の兵を挙げた幕府が、
その時の軍服を西洋式にすることを決めたというのが初のようです。
小伝馬町の商人である守田治兵衛が2000人分の軍服の製作を引き受け、試行錯誤しながらも作り上げたということです。
また、断髪令により髪型も従来の髷から散切り頭となっていきました。

その後しばらくは、小規模ながらも各地に洋服の貸し出し店や洋服販売店ができるようになり、
1871年に陸軍や官僚の制服を西洋風に改めることを定めた
天皇の勅諭(太政官布告399号「爾今(自今:じこん)禮服ニハ洋服ヲ採用ス」)が発せられた以後、
警官・鉄道員・教員などが順次服装を西洋化する事となっていきました。

やはり各国と同様普及の始まりは政府発信のようですね。

ファッション

一方女性間での洋服の普及は男性服に比べると遅れているようです。 
明治維新(諸説あるため1850年代前後とします)以来の文明開化の波は、
日本人の洋装化を促進させたとはいえ女性服においては看護婦、女学生などの制服に取り入れられたのみでありました。 
鹿鳴館風俗が日本女性の洋装の始まりだとする説がありますが、これらは舞踏会などのための社交服であり、
日常の生活服ではなかったという点で、かならずしも一般的な現象とはなり得ませんでした。
日常服としての洋服は、大正の終わりから昭和の始め(1920年代)にかけて一般女性にも浸透していきましたが、
本格的に広く着られるようになったのは第二次世界大戦後のことでした。 

1923年の関東大震災では和服を着用していた女性の被害が多く、和服が動作に支障をきたしたということから、
翌1924年に「東京婦人子供服組合」が発足し、女性の服装にも西洋化が進むキッカケとなりました。
このときからそれまでの独自の着物文化にかわって急激に洋服が浸透していくことになります。
そして明治維新以来、繊維産業の発展に力を注いできた日本には、
すでに洋装化への下地が固まっており洋裁ブーム時代が到来することになりました。 
1927年9月21日には、当時の銀座三越において日本国内初のファッションショーが開催されました。
これは驚いたことに、一般からデザインを募ったファッションショーでした。 

また、日本橋にあった「白木屋」デパート(旧・東急百貨店日本橋店の前身、現在の「コレド日本橋」)で発生した大規模火災では、
やはり和装の人々に被害が多かったという事で、
従業員の服装を西洋式に改める百貨店が増加し、それに伴い大衆の服装の洋式化も徐々に広まっていきました。 
一方、1930年代後半から1940年代前半にかけては、戦時体制により繊維・衣服の統制が極端に進み、
さらに百貨店自体の売り上げが低迷期に入りました。
1945年には衣料切符制度がとられ、国民服と呼ばれる統一規格の洋服が配給され、
数少ない配給衣服の着用での生活を余儀なくされることになります。
絶対量が少なかったため、和服をもんぺに作り替えて着用していたようです。

戦争による壊滅的な打撃を受けた日本は、敗戦後はアメリカを主とする連合国からの援助に頼ることになります。
そして、食料など様々な物資不足、衣服不足により闇市でも入手できない立場の大衆は、
1948年からGHQの放出衣料による古洋服の着用を始めました。
皮肉にもこの事は、「占領軍ファッション」として中古アメリカ衣料への傾倒が起こり、
いわば戦後初めての流行感覚が生まれたと言えるでしょう。

ナイロンをはじめ化学繊維の統制撤廃の後、化学繊維を使用した衣服が作られ始めるのは1951年頃になります。
日本の繊維産業はすべて手探りの状態から、ビニロンやテトロン(ポリエステルの商品名)、
レーヨンなどの化学繊維の開発、製造を始めました。 
1953年には、当時ヨーロッパで隆盛を極めたフランス人デザイナーのC・ディオールが来日し、
海外ファッションの導入が始まりました。
しかし実際は基本的に注文品で、いわゆるオートクチュールでしたので、
日本国内では繊維不況のため大衆の手には入りにくいものでした。

1958年には、同じくフランスのP・カルダンが来日。一転して量産のプレタポルテの時代が到来します。
当時、オーダー服と量産既製服の占める割合は7対3程度にまでなっており、
この後1960年代以降から衣料の大量消費の時代が始まることになりました。
とはいえ、修繕した継ぎのある衣服は、家庭での普段着や作業着として当たり前でした。

以降、化学繊維を中心とする繊維産業の飛躍的発展によって戦後の乏しい衣料時代は過ぎ去り、
1970年代頃には、生理的・物理的には豊かな衣生活が送られるようになっていきました。
そして、大衆消費社会の到来、伝達方法のスピードアップ、余暇時間の増大は、
テンポの速い生活様式を出現させ、既製服への依存は必須となりました。
さらに、質的向上に伴って衣生活には多様性が要求されるようになり、ファッションへの関心は急激に高まりました。 
そして今日の日本では、世界的レベルの日本人デザイナーが活躍し、
ファッション産業は日々多様化する衣生活に対応しつつ、大衆社会と切り離せないものとなりました。
現代生活のなかでのファッションは、私たちの衣生活を物理的に充足すると共に、
精神的充足の役割を担っていると言えるでしょう。
そして今日の日本では、世界的レベルの日本人デザイナーが活躍し、
ファッション産業は日々多様化する衣生活に対応しつつ、大衆社会と切り離せないものとなりました。
現代生活のなかでのファッションは、私たちの衣生活を物理的に充足すると共に、
精神的充足の役割を担っていると言えるでしょう。

ファッション

流行あれこれ《ア行》

流行のスタイルは年々移り変わりを見せ、発展していきます。

以前流行したスタイルを模して≪○○年代スタイル≫と言うこともありますが、
もとになったスタイルが昔風なだけで実際はその時代に合うようにデザインしなおされて新しい流行となっていきます。

≪ア行≫

●アイビールック(the Ivy(-League)look)

1950~60年代頃の、アメリカ・アイビー・リーグ(米国北東部にある名門8大学の一群)の学生のファッション、
ライフスタイルを指してこう呼ばれたことが始まりです。
アイビー・リーグは、1937年に結成されたフットボール連盟の事を表す言葉として、
ザ・ニューヨーク・ヘラルドのスポーツ担当記者が命名したものです。

登録された8校は、いずれもレンガ造りの校舎とそこに生い茂る蔦(アイビー)がシンボルとなっていました。
各校ともアメリカのエリートを育成する学校として名高く、
生徒達は家柄も良く優秀な頭脳の持ち主で、将来は社会の指導者的な立場となる為、
服装は保守的で、オーソドックスで、伝統的でありながらも着易く、活動的なものでした。

それが、英国トラディショナルをベースにした、アイビーモデルでした。
これがファッションとしてアイビールックと言われるようになったのは1955年のことでした。

日本では、アイビールックで銀座の「みゆき通り」をたむろしていたので、「みゆき族」などと呼ばれていた人たちもいました。
「アイビールック」は、ブレザーとボタンダウンシャツをベースにした学生のファッションスタイルで、
今でもボタンダウンに拘りを持っている人が多いようです。

●アウトレットストア(an outlet store)

「売れ残りの在庫品を大量に仕入れて、安売りをする店」と言うのが大儀のようですが、
最近の動向はそうでもなさそうです。

もともとは1980年代に、アメリカの流通業界から誕生した新しい流通業(小売業)の形態で、
「高級ブランド品」(百貨店などで高額でも販売可能なもの)や
「メーカー品」(メーカーのブランド名を表示したもの)の衣料品やアクセサリーなどの、
流行遅れ商品や通販のクーリングオフ品、
実用上は問題のない欠格品(いわゆる「半端もの」「訳あり品」「棚ずれ品」など)を処分するために、
工場や倉庫の一角に「アウトレットストア」と呼ばれる在庫処分店舗から始まりました。

これが転じて発生したのがアウトレットモール(outlet mallまたはoutlet center)で、
複数メーカーの直販店舗を一同に集め、
多数のブランドや業種を揃えた利便性で購入者の選択幅をモール全体で拡大しています。

アウトレット店舗には、メーカーなどが自社企画品や自社生産品の直接販売を行う「ファクトリー・アウトレット」と、
小売店がメーカーから仕入れた在庫品を販売する「リテール・アウトレット」の2種類があります。

日本では1993年に埼玉県入間郡大井町(現・ふじみ野市)にアウトレットモール・リズムが開業したのが最初でした。
その後、地方を中心に建設が進み、今では全国に40ヶ所以上のアウトレットモールが続々と誕生しています。

ファッション

●アバンギャルド(仏:avant-garde)

ファッションとしては先端的、前衛的を意味し、過去の概念を打ち破ったような革新的、奇抜なものを指しますが、
あくまで正統性があり高い評価の対象となります。

フランス語では軍隊の前衛部隊のことを言い、
フランスで起こったダダイズム(あらゆるものの既成の価値を否定した破壊的運動)や
シュールレアリスム(超現実主義で驚きの中に最大の美がある)などの芸術革命運動のことを指しました。

●アメカジ=アメリカンカジュアル(American casual)

広義にはアメリカ風の衣料品、またその着こなしのことで、
狭義には1960年代の日本で流行したアイビールック(後のカジュアルトラッド、アメリカントラディショナル)を指すこともあります。

明るく、開放的なカジュアルルックのことで、ヨーロピアンカジュアルと対比的に使われています。
一般的にはアイビー調のキャンパススタイルやカリフォルニア調のスポーツルックなどで、
アメリカの大学生を手本にし、カジュアルでも清潔感のある学生らしさを感じさせるスタイルが特徴です。

代表的なアイテムとしてはジーンズ、チノパン、スウェットパーカー、ローテクスニーカーなどがあり、
他にサープラスと呼ばれる軍から払い下げられた衣料などもあります。
特にジーンズはアメリカンカジュアルの枠を越えて、定番のボトムスとしてグローバルに普及しています。

●アメトラ=アメリカントラディショナル(American traditional)

「アメトラ」という表現は「アメカジ」同様、日本独自の表現です。
元々はアメリカ東部で生まれた伝統的な服装の総称ですが、
60年代にブームとなった、アイビールックやアイビーリーグモデルのスーツなどを指して呼ぶこともあります。

また、コンチネンタルスタイルやブリティッシュトラディショナルなどと対比的に使われたりもします。
アメリカントラッドはイギリスの伝統的なスタイルの影響を受けアメリカで形成されたスタイルです。

安定したライフスタイルを表現し、流行に左右されることがなく保守的かつ、ノスタルジックなものでした。

ファッション

●イタリアンカジュアル(Italian casual)

イタリア調のカジュアルファッションの総称で、
アメリカンカジュアルとは対比的で大人のカジュアルのイメージが強いのが特徴です。
イタリアのミラノを中心とするカジュアルファッションなので、
地中海風の鮮やかな色使いや大胆なデザインがメインになっています。

スポーティーでカラフルなファッションが多いです。

●インポートブランド(an import brand)

海外から輸入されたブランド商品のことを言います。

●ウエスタンルック(a Western look)

アメリカ西部に見られるカウボーイやカウガールの服装から生まれたファッションで、
カウボーイハットやウエスタンブーツ、ウエスタンシャツ、フリンジ付きのウエスタンジャケットなどが代表的なアイテムです。

また、アメリカインディアンのスタイルでインディアンルックもこの中に含まれたりします。

●エンパイアスタイル(empire style)

ナポレオン第一帝政(1804~14年)に見られたクラシックスタイルのことで、
フランス語ではアンピールスタイルと言います。

このスタイルは、ウエストを絞ってスカートを大きくふくらませたロココスタイルと異なり、
古代ギリシャやローマの影響を受けた、細く直線的なシルエットでハイウエストやパフスリーブの付いたドレスが特徴です。

短めのジャケットやショールなどとの組み合わせが見られます。

●オートクチュール(仏:haute couture)

フランス語で「特注の高級仕立て服」の事を指し、
注文を受けてから造られる一点物のオーダーメイド服の事になります。

高級洋裁(店)とも訳されます。

ファッションビジネス界では、「サンディカ」と呼ばれる
パリの高級衣装店(オートクチュール)組合(La Chambre Syndicale de la Couture Parisienne)に
所属している店舗で造られた商品のみがこう呼ばれます。

そして、パリとローマで年2回(1月と7月)行われる「オートクチュール・コレクション」は、
この組合に所属しているメンバーとメゾン(店)のみが参加でき、
メゾン専属のデザイナーが顧客のために創作デザインを発表し販売するため、
一般の注文服店や既製服店とは区別されています。

義務としてショーを行い招待客やジャーナリストに公開しなければならず、
ここから流行が生み出される事もあります。

ファッション

流行あれこれ《カ~タ》

≪カ行≫

●カジュアル(casual)

もともとは正式ではない略式の状態を指す形容詞でしたが、
今では普段着としてのファッション全般を指す言葉として定着していますね。対義語はフォーマル(formal)。
カジュアルファッションは、着ている本人も見ている相手も、互いに堅苦しくない雰囲気をもたらし、
リラックスできるファッションです。

●カラス族

カラスのように全身黒ずくめの服装で身を覆った若者達の俗称です。
当初は1960年代半ばに現れた
アイビールック(アメリカの大学生に見る伝統的な服装)の若者たちのことをこう呼んでいました。

一般的に知られているのは、1980年代前半の山本耀司(デザイナー、イベント・プロデューサーとして有名)や
川久保玲(現代ファッションを代表するカリスマ的デザイナー)などに代表される
DCブランドのモノトーンルック(白と黒の服装)を着ている人々の呼び名です。

また、「青森ねぶた」に乱入した集団や、
若い女性を勧誘して風俗店を斡旋するスカウトマンの事もこう呼んでいましたが、
共通点は黒ずくめのファッションです。

●ギャルソンヌルック(仏:garconne)

ギャルソンヌとは1922年頃パリで大評判になった小説「ラ・ギャルソンヌ」から生まれた新語で、
仏語のギャルソン(男の子)を女性形にした”少年のような女性”という意味で、
当時続々と出てきた活発で若い働く女性たちの総称となりました。

そして、この小説を基にして生まれたシンプルで活動的な服装が流行しました。
フラットなバストにショートボブ(おかっぱをさらに短く、少年風のイメージにカットしたもの)のヘアースタイル、
細身で直線的なシルエットのテーラードスーツやドレス、膝下丈のスカートなど、
これまでの女性らしさを強調したスタイルとは異なる、新鮮な魅力が流行のきっかけとなりました。

この時代の代表的なデザイナーは、シャネル、ランバンなどです。

●コンサバ=コンサバティブ(conservative)

「保守的な、控えめな」という意味のコンサバティブの略語です。
最新の流行やトレンドに左右されず、ベーシックで控えめなファッションスタイルのことを指します。

また、本来の意味からやや外れ、
保守的なセンスの中に女性らしいエレガントさを取り入れたファッションのことも指し示すようです。
日本では1975年以降、神戸のお嬢様風スタイル“ニュートラ”(ニュー・トラディショナル)、
横浜元町のお嬢様風スタイル“ハマトラ”(ヨコハマ・トラディショナル)ブームが起き、
1985年頃のバブル期に入ると、女子大生ブームが全盛になりました。

長い黒髪に太い眉、肩パットの入ったかっちりとしたスーツ・ブラウス・ブランドスカーフ・タイトスカート等、
赤文字雑誌(JJ、cancam、ViVi、Rayなど)が取り上げたファッションを「コンサバ」と称し、
お嬢様(淑女)の必須アイテムとなりました。
近年は、コンサバにギャル的センスを取り入れた「お姉系」がブームになり、
エレガンスよりもセクシーさを強調するようにもなりました。

対義語は「アバンギャルド」または「コンテンポラリー」。
しきたりに囚われない革新的なセンスのモード系、
ユニセックス寄りのセンスでラフな衣類を纏うカジュアルなどになります。

●コンチネンタルスタイル(continental style)

コンチネンタルは「ヨーロッパ大陸の」という意味で、紳士服のスタイルに使われる言葉です。
一般的にアメリカのスーツに対して、ヨーロッパのスーツモデルを
コンチネンタルモデルと特定して呼んでいる場合が多いようです。

また、ヨーロッパのスーツやジャケットなどをヨーロピアンスタイルと呼ぶこともあり、
アメリカンスタイルと比べると、テーラードなどの第一ボタンの位置が下のほうに付いており、
シャープでスリムなラペルラインが多いです。

ファッション

≪サ行≫

●渋カジ

バブル期の1980年代後期~1990年代の若者のファッションスタイルで、
渋谷の高校生を中心とした「渋谷カジュアル」の略です。
また「渋いカジュアル」と言う説もありますが、これはハッキリとした裏づけはなく俗説のようです。

特徴は、それまでに大流行していたDCブランドとはまったく対照的で、
白のTシャツやポロシャツ・ストライプシャツ、インポートのストレートジーンズ、紺のブレザー(紺ブレ)、
スタジアムジャンパー(スタジャン)、ローファー、モカシン等シンプルなものでした。

方向性も様々で、アメリカンカジュアル風、インポートのソフトトラッド風、エスニック風、ウエスタン風といった
あらゆるアイテムを自分なりに取り入れたスタイルでした。

●スーパーモデル(a super model)

1980年代後半から1990年代中頃までに活躍したファッションモデルの中でも、ごく限られたトップモデルたちの事です。
「スーパーモデルブーム」と呼ばれる社会現象を巻き起こしたこともあります。

ハッキリした定義は分からないのですが、トップレベルのファッションデザイナーと共に世界中で活躍し、
知名度も高いと言うこと、オートクチュールで活躍していること等が条件として挙げられるようです。
つまり本当に厳選された少数のエリートモデルということになりますね。

しかし、90年代の後半からは線引きがあいまいになって、トップモデルに対して条件問わずこの名称が使われたり、
日本では海外で活躍しているモデルに対してもこう呼ばれることが多くなってしまいました。
これが、「スーパーモデル」という名称に陳腐さを与えてしまったようで、この後ブームは終焉を迎えました。

ファッション

≪タ行≫

●竹の子族

1979年~1984年にかけて、原宿の代々木公園の脇の歩行者天国(ホコ天)で、
ラジカセを囲みディスコサウンドに合わせて踊っていた若者集団の総称です。

また、彼ら特有のファッションもここから生まれました。
「竹の子ファッション」と呼ばれた衣装は、原宿の「ブティック・竹の子」で売られていたことから付いた名称です。

主に首都圏の中高生が中心になってグループを作っており、
個々のグループによってファッションコンセプトがありました。
特徴は、原色で大柄な生地を使用したものが多く、
古代日本風、チャイナ風、アラビア風、特攻服風と様々でしたが
総称して「ハーレムスーツ」とも呼ばれていたようです。

シルエット的には上下共だぶだぶで、足首を絞り、
アクセサリーはぬいぐるみやリボン、ロングネックレスなどユニークなものが多く、
足元は踊りやすいように上履きやカンフーシューズのようなものを履いていました。
自作の衣装も多かったようで、個性にあふれていたと思われます。

●DCブランド(a big-name designer or character-goods brand)

1980年代中盤に日本でブームとなった、日本の衣服のデザイナーズブランドとキャラクターズブランドの総称です。
しかし、概念としての「デザイナーズブランド」と「キャラクターズブランド」とは内容が異なっていますので、
同一視は出来ません。

ブームの発端はファッション雑誌でした。
主な雑誌は「anan」「POPEYE」「JJ」等で、雑誌掲載されたブランドで働く販売員は
「ハウスマヌカン」と呼ばれ当時の人気職業でした。
この現象は日本だけのもので、「コム・デ・ギャルソン」「Y's」「イッセイミヤケ」などを除いたブランドは
海外での知名度はほとんどありませんでした。

全盛期は1983年~1987年頃までで、セール時にはファッションビルやデパートに朝早くから行列が出来たほどの人気でした。
その後は、バブル景気の全盛に伴い「ジョルジオ・アルマーニ」や「ラルフ・ローレン」といった
高級輸入ブランドが進出してきた事と、ボディコンブームの到来により衰退していきました。

●トラディショナル・スタイル(traditional styale)

伝統的メンズ・スタイルのことで、米国東部の伝統的スタイルの事を指すことが多く、
アメリカン・トラディショナルとも呼ばれます。
また、ブリティッシュ系トラディショナルや、日本独自のニュートラなども含めて呼ぶ事もあります。

「伝統的・正統派」という意味があり、流行に左右されないテーラードスーツやトレンチコートなどのベーシックなデザイン、
またはウールやカシミアなどの素材を用いたものを総称したりもします。略してトラッドとも言います。

細かく分ければ、アメリカの場合はエレガントなヨーロピアンタイプとは対照的で
全体的にスポーティで機能的な雰囲気を持ち、
ブレザー、チェック柄のパンツ、ボタンダウンのシャツといった組み合わせが一般的な感じです。
ブリティッシュ・トラディショナルは肩幅の広いたっぷりめのジャケットと、
ゆったりしたプリーツのパンツといったシルエットが特徴的で、
タータンチェックを使った、オーソドックスなものが多いです。
どちらも国民的なファッションとして定着しているスタイルです。

●トレンド(trend)

トレンディー(trendy)は形容動詞。ファッション、マーケティング、経済動向分析などの分野でよく使われ、一般的には時代の趨勢、潮流、流行のことを指します。

ファッション

流行あれこれ《ナ~ハ》

≪ナ行≫

●ニュートラ

日本において、1970年代の半ばから1980年代前半にかけて流行したスタイルで、
ブームの中心は女子大生や若いOLでした。

キッカケとなったのは当時続々と創刊され始めたファッション雑誌の「anan」が、
関西の山の手(神戸)発のお嬢様ファッションを取り上げ『ニュートラ』と名づけたことでした。

その後、同様にファッション雑誌の「JJ」が特集を組んだところ、更にブームになり全国的に広がっていきました。
「神戸発信のニュートラディショナルファッションスタイル」と言うことから「ニュートラ」と略されますが、
あくまでも和製造語のため、英語のnew traditionalとは関係ありません。

また、関東では横浜元町発の「ハマトラ」というスタイルが流行しました。

基本的なスタイルは、ブレザースーツ(ブレザーと共地のスラックスを組み合わせたスーツ)や、
プリントワンピースにカーディガン等をベースアイテムとし、
海外有名ブランドのアクセサリーやバッグ、スカーフなどを組み合わせるといったものでした。

ブランドはグッチ、フェンディ、セリーヌ、エルメス等が主流でした。

●ニュー・トラディショナル(new traditional)

極めてファッション性が高く、∃ーロッパ感覚を取り入れたアメリカのファッションで、
より現代的で斬新な感覚を加味したアメリカン・トラディショナルのことを指します。

●ニューヨークコレクション(New York Fashion Week)

1962年にアメリカン・デザイナーズ協議会 (CDFA) が発足されて以来、
ニューヨークで開催されているプレタポルテのコレクションです。
他のコレクションに比べて、現実の生活を意識したキャリアのための実用的な服が多いのは特徴的です。

ちなみに、ファッション・イベント全体を「コレクション」と呼ぶのは日本だけで、世界的には "Fashion Week" と言います。

ファッション

≪ハ行≫

●パタンナー

和製造語です。日本においては、デザイナーをアシストする役割だという解釈がほとんどだそうですが、
フランスなどのヨーロッパ諸国ではデサイナーとパタンナーは同格であり、
著名なデザイナーの陰には優れたパタンナーありと言われるほど重要な存在になっています。

役割は、デザイナーのイメージしたデザイン画を元に服飾・ファッションの型紙を引くことを専門とする人で、
正しくはパターン・メーカー (pattern maker)と言います。

また、パタンナーをmodelist(モデリスト)、modellista(モデリスタ)、
デザイナーをcouturier(クチュリエ)、stilista(スティリスタ)とも言います。
イタリアでは日本と近い感覚の位置関係のようです。

●ハマトラ

横浜トラディショナルの略で、1970年代後半のニュートラから派生した独自のファッションスタイルです。

ニュートラ同様ファッション誌がブームの火付け役となって広まっていきました。
中心となっていたのは、山手のフェリス女学院などの名門女子大に通う女子大生たちで、横浜元町が発信地です。
言わば、女性版アイビールックで、山の手の女性らしさと可愛らしさが加わった清潔感あるお嬢様スタイルでした。

基本スタイルは、トレーナーに白のレーシーニット(レースのように多くの穴があって透けて見えるニット)のストッキング、
ポロシャツ、ベスト、カーディガン、ミニ丈の巻きスカートにハイソックスの組み合わせ、と言ったような独特なスタイルです。

また、「三種の神器」と言われ、「フクゾー」の洋服、「ミハマ」の靴、「キタムラ」のバッグは
定番ブランドとして必須アイテムだったようです。

また、関西の山の手、神戸から発信されたニュートラとは対抗意識もあったようでした。

●パリ・コレクション(Paris Fahion Week)

年2回、フランスのパリで開かれる服飾ブランドの新作発表会です。
「パリ・プレタポルテ・コレクション」では3月に秋冬物、10月に春夏物が約2週間の日程で発表され、
「パリ・オートクチュール・コレクション」では1月に秋冬物、7月に春夏物、
「メンズコレクション」も2月と7月に開催されています。

これらを総称して「パリコレ」と言っています。

世界の有名なプレタポルテのコレクションは主にミラノ・パリ・ロンドン・ニューヨーク・東京の5カ国5都市で開催されます。
なかでもパリ・コレクションは一番の規模を持ち、その年のファッションの流行が左右されるため注目度は非常に高いです。

ファッション

●パンクファッション(Punk Fashion)

1970年代後半にロンドンの若者のファッションから生まれました。

ベースとなったのはセックス・ピストルズと言うパンク・ロックのステージ衣装でした。
日本では、ヴィヴィアン・ウエストウッドの取り扱いアイテムがそのまま
パンク・ファッションのようなイメージをもたれているようですが、
実際はほとんどが自作の衣装で、誰でも真似のしやすい簡単でシンプルなものだったようです。

現在のパンク・ファッションのイメージはきついメークに派手な色で
逆立ったヘアスタイル、モヒカン、スキンヘッドなどと鋲付の黒い革ジャンとスリムなパンツ、
装飾はチェーン、安全ピンと言ったような反抗的で攻撃的なものだと思われがちですが、
このようなスタイルは1980年代にイギリス郊外で大流行したパンク・リバイバル、
ハードコア・パンク以降に定着してきたと言うことです。

パンク・スタイルといってもファッションとしてのジャンルが確立したもので、
必ずしもパンク・ファッションを好む人がパンク・ロックを聴くとは限らなくなりました。

●ファストファッション(fast fashion)

ここ5年ほどの間に急速に使われ始めた言葉です。
ファストフードのように「早く安い」事を目的として確立されつつある衣料販売の業態です。

その時に求められているファッショントレンドをすばやく取り入れ、
普段使い用のリアルクローズを短い期間で大量生産し、低価格で提供する
グローバルな衣料販売チェーンのことを指しています。

主なブランドは「H&M」「ZARA」「FOREVER21」「GAP」「リミテッド」等で
「ユニクロ」よりも企業規模は大きく、グローバル化されています。

●ファッションショー(fashion show)

大きなものは日本では『コレクション』、海外では『ファッション・ウィーク(fashion week)』と言われます。
服飾の作品発表や、流行の発信や販売促進などを目的とし、モデルに服を着せて観衆に提示します。

もとは上流階級向けにオートクチュールのショーが行われていましたが、
戦後先進国に新たに増えてきた富裕層に向けてプレタポルテのショーが行われるようになりました。

その後、中産階級向けの服飾市場が拡大してきたため大量生産が必要となり、
卸売業者や小売業者に向けての新作発表を目的としたショーが行われるようになりました。

そのため、オートクチュールやプレタポルテのファッションショーは、
ファッションデザイナー及びファッションブランドの芸術的作品の発表の場としてのショーになって行きました。

一方、近年の日本では、中産階級の若者向けの服(リアル・クローズ)を対象としたファッションショーが、
有料の興行として成立してきました。

ファッション

流行あれこれ《ハ~マ》

≪ハ行≫

●ファッションデザイナー(a fashion designer)

服飾・ファッション分野のデザインを専門とする人を指します。
自分の名前でブランドが確立されている人だけでないのは勿論のこと、
企業専属の人、インディーズの人、フリーの人などその仕事状態は様々です。
基本的にスタイル、色などのイメージを考え、具体的なデザイン画にまとめるまでの仕事をしています。
そして、そのデザイン画を型紙におこしていくのがパタンナーです。

ただし、これといった仕事の流れが決まっているわけではないので、
デザインのイメージだけを考え、実際にデザイン画にするのは助手(モデリスト)にまかせる人もいれば、
デザインから素材の選択、裁断、ミシンがけまですべてやっている人もいます。

注文服(クチュール)のデザイナーは、ミシンがけから仕上げまで、
自分で、あるいは直接人を指導しておこなうのがふつうです。
着る人の個性を尊重し、その意見も取り込みながらデザインを決め、
仮縫いをして、着る人それぞれに合った服を仕上げていきます。
既製服(アパレル)の場合は、デザイナーが製品になるまで責任をもってチェックすることもありますが、
大概は組織の仕事の一部としてデザインを担当するといったケースが多くあります。

いずれにしても、服が完成するまでの工程をうまくコントロールするとか、
最終的な着こなしまでを考えられるファッションセンスと、
イメージを的確に表現できるデザイン力が必要な職業です。

●ファッションモデル(fashion model)

ファッションブランドの衣服、装飾品を身に付け、ブランドのイメージとして広告やファッション雑誌の被写体、
またファッションショーなどに出演することを職業としているモデルのことを言います。

雇用形態としてはモデル事務所への所属や他のマネージメント会社への所属と言う形になります。
雑誌の専属モデルと言われている場合でも、実際は全てマネージメント会社を介しての契約と言うことになります。
ファッションモデルの寿命は5年~10年程度だそうで、
その後は女優やタレント、デザイナーなどへ転身をしていくようです。

日本のファッション雑誌では、1990年代以降ストリート系を中心に、
プロのモデルではなく街頭スナップや読者モデルを多く取り入れたことがありました。
このためモデルの出演料が低下してしまい、プロのモデルが減少するという傾向が見られました。

●フォーマルウェア(a formal dress[suit])

フォーマル(正式の、公式的な)な場で着用する服装の総称。正装。
ブラックフォーマルとカラーフォーマルがあり、ブラックフォーマルは黒を中心とした冠婚葬祭などで着用し、
カラーフォーマルはパーティの華やかな場所での服装です。
定められた衣服を着ることによって、敬意や謙譲の意を表現する事が出来ます。

また、正式な社交服として、イブニングドレス(男女を問わず夜間の社交の場に用いる礼服)などもあります。
ソーシャルウェア(社交服)よりも少し格が上のイメージで、
昼間と夜間の区別、正装と準礼装、略礼装の区別、TPOに応じた着こなしなどいろいろとルールがあります。
例として、昼間のアフタヌーンドレス、夜間のイブニングドレス、ディナードレスなどがあります。

何が正装に当たるかは文化や状況によって異なります。
一般的には19世紀ごろのヨーロッパにおいて確立した服飾意識が全世界的に通用するとされていますが、
他民族が集まるような場であっても、
その民族固有の衣装のうち礼式にかなったものを着れば礼装としてみなされています。
また、参加メンバー、場所、パーティーのランク、主人の社会的な地位や身分などによっても異なったりします。

ファッション

●プレタポルテ(仏:pret-a-porter)

フランス語でpret(プレ)は「用意が出来ている」、purter(ポルテ)は「着る」という意味になり、
a(ア)は不定詞を導く前置詞となります。
英語に直訳するとready to wear、あるいは、ready to carryにあたり、
「そのまま着られる」「そのまま持ち帰られる」という意味になります。

まとめると「すぐに着られる既製服」ということになるわけですが、
一流のデザイナーがデザインを手がけ、仕立てをした既製品にのみ使われます。
日本では、フランスの著名デザイナーによる輸入高級既製服というイメージがあったため、
単純に「既製服」とは訳さず「高級既製服」と訳されました。

流通としては、オートクチュール(高級注文服、高級オーダーメイド服)は、
限られた個人からの注文のみを受け、一点一点手作業で制作した服を顧客に渡すという流れですが、
プレタポルテ(高級既製服)は基本的には、卸売から大量受注して小売する流れとなります。

「プレタポルテ」以前の既製服は、既製品という意味を持つコンフェクション(confection)と呼ばれていましたが、
これらの言葉が「大量生産された粗悪な安物」というニュアンスを持っていたため、
それらと区別するために1945年に「プレタポルテ」という言葉が生まれました。
今では、年に2回開催されるファッション・ショーや展示会によって、
世界のファッションをリードする立場となっています。

●ベビードールルック

ベビー(baby)ドール(doll)つまり「赤ちゃん人形」で、
子供っぽくあどけない雰囲気、または小悪魔的なイメージを持つ女性や、
そういったニュアンスのファッションスタイルを指しています。
また、似たような意味でナイトガウンの一種であるベビードールを基調にしたファッションの事もこう言います。

リトルガールルックのひとつで、ルーズウエストでフレアーの入ったゆったりしたワンピースに、
フリルやレースの飾りなどを付けたものや、シュミーズを短くしたようなドレスを指します。
ルーズなシルエット、ショート丈、衿・胸元・袖のフリルというデザインは基本ですがバリエーションは豊富です。

基本形を作ったデザイナーはクリストバール・バレンシアガ、その後は50年代のマギー・ルフ、
80年代のジャン・ポール・ゴルチエ、ヴィヴィアン・ウエストウッド、山本耀司などが
ロリータ、ベビードールブームを引き起こしました。

●ボディ・コンシャス(body conscious)

略して「ボディコン」(和製英語)です。consciousは「~を意識する」という意味で、
ニット素材などを使用し、体にフィットするデザインでボディラインを強調した服で、
元々は女性の自己主張、解放を目指すファッションの動きの一つでした。

出始めは1981年のミラノ・コレクションにおいてアズディン・アライアが発表したドレスでした。
その後、ピンキー&ダイアンなどが更にシルエットを強調したデザインを発表しました。
日本でのブームは1980年代のバブル期で主に遊び着としての流行でした。

ファッション

≪マ行≫

●マニッシュ・ルック(the mannish look)

マニッシュとは「男のような、男気取りの」の意味で、マスキュリン・ルック(masculine look「男性的な」)とも言われます。
フェミニンと対極にある言葉で、女性のファッションスタイルに関して使います。
女性が男性的な装いをすることによって女性らしさを表現するスタイルです。

20世紀初頭から女性の社会進出が増えてきたことにより確立されました。

テーラード・スーツのような細身のパンツ、ジャケットにシャツやベストを組み合わせネクタイを結んだり、
ヘアスタイルもボーイッシュにしたりして、
男性と対等に職場で活躍するキャリアウーマンのスタイルとして定着していきました。

●ミニマリズム(minimalism)

最小限(Minimal)と主義(ism)を組み合わせた用語です。
1960年代、アメリカから登場した考え方で、ファッションだけでなく造形美術の分野で主流を占めた傾向です。

80年代のゴージャスで豪奢なデザインに対して90年代はシンプルなデザインが流行し、
極限までシンプル化させていきました。
服から無駄な要素をすべて省き、最小限にすることにより
本来人間のもつ感覚を回復させ、内面性を浮かび上がらせようとしました。

●みゆき族

1964年頃に、日本で流行したファッション文化です。

男性はバミューダパンツや「VAN」のジャケットなど、アイビーを崩したスタイル、
女性は白いブラウスにフラットな靴、ロングスカート、リボンベルトを後ろ手に締めて、
頭にスカーフを巻いたり首にネッカチーフを巻き、紙袋やズダ袋を脇に抱えたスタイルで、
銀座のみゆき通りを闊歩していた事が名前の由来です。

「VAN」とはヴァンジャケット社のブランド名で、このロゴが入った紙袋を持って歩くだけでおしゃれだとされ、
アイビーファッション信望者の中では神様的存在でありました。

1970年代も人気は衰えず、他には「JUN」などの似たようなアルファベットブランドが増えていきました。

●ミラノコレクション(Milan fashion week)

1976年以来イタリアのミラノで開催されているコレクションです。
メンズの「ミラノ・モーダ・ウォーモ」とレディースの「ミラノ・モーダ・ドンナ」がそれぞれ夏と冬に年2回ずつ行われます。

多くのデザイナーが新作を発表する場で、宣伝のためにバイヤーやジャーナリストやカメラマンを招待しますが、
ビジネスとしてのコレクションなので一般の人は見ることが出来ません。
このコレクションの次の週にパリ・コレクションが行われます。

ファッション

ファッションブックの歴史

現在、書店や売店、コンビニでは数多くの雑誌が並んでいますが、皆さんはどんな雑誌を読んでいますか?
ファッション誌、ビジネス誌、旅行ガイド誌、園芸やギャンブル、ダイビング…
挙げたらキリがないほど雑誌だけでも情報で溢れています。

ファッション誌でも、様々なテイストの雑誌で溢れています。
ミス・ミセス向け、ストリートファッション、モード、若い世代向けのギャル雑誌、サーフファッションやB系、
さらには子供服のみの雑誌…と「ファッション」とひとことでくくるのには多すぎる程のスタイルがありますよね。

現在出回っているファッション誌はターゲットを細かくセグメントし、
そのセグメントされた層にのみ提供する情報を載せるため、数多くの雑誌が存在するのでしょう。

今日は数多く存在するファッションブックを西洋、日本から見た歴史や位置づけをご紹介したいと思います。

ファッション

まずはファッションブックの意味から。

ファッションを伝える冊子類の総称。一般にはファッション雑誌、fashion magazineあるいはモード雑誌ともいいます。
類語にパターン・ブック、スタイル・ブックなどがあります。
パターン・ブックは「デザイン(または型、柄)見本帳」、
スタイル・ブックはさまざまな「(服装の)型を図示した本」ということですが、
後者は元来、印刷活字の見本帳を意味していたものを、服装その他でも借用するようになったようです。

現在のファッション雑誌は、読者の恋愛事情のアンケート、人間関係のQ&Aコーナーや、
「恋愛特集」「モテ特集」、星占いや血液型性格分類等の「占い特集」、
漫画、ダイエット、キャリアアップ、金銭管理、料理レシピを掲載する、また近年は付録をサービスするなど、
読者の関心をひきつけるエンタテイメント要素を盛り込んでいるものが多いですが、
本来は「見本帳」の要素が色濃かったのです。

ではファッションブックの歴史を見てみましょう。

●西洋

ファッションブックが他雑誌と異なる点は、「絵や写真や図」がメインであること。
つまり服飾では媒体の主体が形そのものに置かれているため、
ファッションブックの発達は版画や印刷術の発達と同時であったということです。
現代のようにPCでつくったデータを印刷所に投げれば雑誌ができあがるというわけではありません。
版を手作業でつくることがファッションブックをつくる過程の一つということです。
今発行されている分厚いファッションブックをつくるとなると、気が遠くなりそうですね…。

服装版画に類する刊本が現れ始めるのはルネサンス期で、
木版画・エッチングの手法によって当時の服装を記録したもので、17世紀初頭まで続きました。
この期はコスチュームブック期と呼ばれています。

この後、17世紀からの1世紀余りをコスチュームプレート期、
さらには両者あわせてファッションブック成立の「準備時代」と呼ぶそうです。
この時期多くの優れた版画家が輩出しました。

ファッション

18世紀も70年代になると、モードの伝達を意図したプレートが現れ、
やがてそれを挿入した「女性向けの総合雑誌」へと発展します。
ようやく現代のファッション誌に一歩近づきましたね。
この時期はファッションブックの「成立時代」であると同時にファッションプレート期と呼ばれています。

この時期に出回っていたファッションブックは、

『ザ・レディズ・マガジン』The Lady's Magazine 1770~1837(イギリス)
『ギャルリー・デ・モード』Galerie des Modes 1777~1787(フランス)
『プティ・クーリエ・デ・ダーム』Petit Courrier des Dames 1822~1865(フランス)

とくにファッションブック「成立時代」後期はすばらしいファッションブックが続々と刊行されました。
代表的なものには、

『モニトゥール・ド・ラ・モード』Moniteur de la Mode 1843~1910(フランス)
『ザ・クィーン』The Queen 1861~1940(イギリス)
『ル・サロン・ド・ラ・モード』Le Salon de la Mode 1876~1940(フランス)

ブックタイトルに「モード」という言葉も使われ始めた事からも、
内容が段々と現代のファッション誌のようにモード性重視になってきたことがうかがえます。

ファッション

続いて20世紀に入ると、ファッションブックは次第に近代的な写真版印刷に変容し、
一度に大量印刷されるようになりました。
この時期はファッションブックの「発展時期」と呼ばれます。
20世紀初頭からおよそ第二次世界大戦までの前期は
モノクロの写真版印刷の時代であると同時に三色版印刷の時代でもあります。

後期はカラー写真版印刷時代。この時期を代表するファッションブックは
19世紀末に創刊された、

『ハーパーズ・バザー』Harper's Bazaar 1867~ (アメリカ)
『ヴォーグ』Vogue 1893~ (アメリカ、フランス、イギリス)

ちなみに『ヴォーグ』はこの時期、2週おきに発行していたそうです。

●日本

次に日本でのファッションブックの成長ですが、1975年頃まではスタイルブックと呼ばれていました。
(ここではあえてファッションブックと呼ばせてもらいますね。)

初のファッションブック創刊は『婦人画報』です。(1905年)
初のファッションブックは1934年創刊の『服装文化』です。
国木田独歩を初代編集長として創刊された、日本で最も歴史ある婦人総合誌。
婦人画報は出版社としてもあまりにも有名ですね。

その後1934年『服装文化』が創刊されます。36年に『装苑(そうえん)』と改名されました。
同誌は当時洋裁の専門誌で、日本のファッション誌の草分け的存在とも言われています。

そして続々とファッションブックが登場します。

代表的なのを挙げてみます。

『MEN'S CLUB』1954年  日本初の男性ファッション雑誌
『non-no』1971年   旅行特集で前年創刊の『anan(アンアン)』とともにアンノン族現象を引き起こしました。 
『POPEYE』1971年 従来の男性誌と一線を画す、カタログ風の実践的内容でした。 
『JJ』1975年 ニュートラが全国的に流行のキッカケとなりました。

今でも読者の多い有名なファッション誌ですね。

「ファッション」の語が単独で「服飾」の同義語として定着するのは1970年代以降のことであり、
70~80年代はその全盛期となって一般女性誌はもちろん、週刊誌までがファッションを取り扱うようになりました。
いわばファッションが定着したのは割と最近なんですね。

一方90年代に入ると、バブル経済の余波を受け、一時期沈滞はするものの、
21世紀に向かうにつれ落ち着きをみせ、
近来は『エル』『ヴォーグ』といった国際誌の日本語版が一般書店でも販売されるに至りました。

ファッション

シャネルの歴史

この記事を読んでくださっている方は、少なくともファッションに興味のある方だと思います。
ファッションブランドといっても、海外メーカー、日本国内メーカー、エルメスやカルティエなどのハイブランド、
プレタポルテによる既製服が多く出回るようになった現在は、
とにかく目まぐるしく早く新たな流行が次々に生まれてきますよね。

今トレンドのファストファッションもその象徴ですね。ちょっと日を空けてお店に向かうと、
もう違う洋服に総入れ替えしてあったりと、流行に飲み込まれてしまいそうな感覚さえ覚えてしまうほど。
それほど現代はファッション情報に溢れ、ファッションへの関心は非常に高いのです。

皆さんは好きなブランド、憧れのブランドはありますか?
私はつい最近ココ・シャネルの半生を描いた本を読み、映画も見たところなので、
いまいちど女性が今の軽やかなファッションでいられるようになったキッカケともなった、
シャネルの歴史を追ってみたいと思います。

かの有名なシャネルは1909年、ガブリエル・シャネル(通称、ココシャネル)によって設立されました。

ファッション

●シャネルについて

シャネルの創立者、ガブリエル・シャネル(Gabrielle Chanel)は1883年、フランスに生まれました。
父は行商人、母親が他界し、家族は方々に散り、シャネルと姉は孤児院に預けられ、
アメリカに渡った父を「いつか私たちを迎えにきてくれる」と信じ、修道院で育ちました。
まるで小公女のようですよね。

ただ、純粋に父を待ち続けたのは姉でガブリエル自身は、決して迎えにこないこと感づいていたのか、
少女の頃から私は私で食べていかなければならない、
そのためにどうしたら良いかととてもハングリー精神の持ち主でもあったのです。
現代の女性であれば、このような考え方を持っている人も多いですが、当時ではとても珍しいことですよね。
やはり大きな事を成し遂げる人物は強い考えを持っていますね。

シャネルの打ち出すファッションは、モノトーンな色が中心ですが、
それは修道院で黒などべーショックな服を着用していたからと言われているようです。
シャネルは修道院の規律正しい生活の中で、お針子としての技術を身につけました。

1905年、踊り子(歌手)を目指しキャバレーで歌う仕事に就きます。
美しさも兼ね備えたシャネルは、店の人気者となり、ミドルネーム、ココと呼ばれて親しまれました。
これがココ・シャネル(CC)の由来で、有名なモノグラムに繋がります。

そして歌手をした時期に出会った、ブルジョワ出身の青年将校の愛人となり、その青年将校の出資で、
1909年に帽子店を開業。
その後もシャネルはブランドの初期段階で、恋人から出資を受けて事業を拡大していきます。

装飾が多い帽子の多い中、シャネルのシンプルなデザインは多くの注目を集めました。
社交界の女性たちからオーダーが入るようになり、帽子から衣服など徐々に展開を広げていきました。

過去の成功したデザイナーは皇室、女優などの影響力を利用して自身のスタイルを打ち出すことが多かったのですが、
シャネルの場合は、その美貌とカリスマ性で自分自身がブランドの広告塔となりました。
今では当たり前のように聞こえますが、当時とても斬新かつ効果的なPR法だったといえます。

シャネルの影響力が大きいのは、そのスタイルが評価されたことだけでなく、
彼女自身が女性として持っていたカリスマ性や、その生き方、活動的な性格からくるものからだったのでしょう。

1919年、クチュリエとしてオートクチュールのコレクションを発表。
シックで着心地の良さを追求し、シンプル&エレガンスを追求します。
そのシンプルさは、彼女の考える女性の解放であり、女性のスタイルでもありました。

ファッション

シャネルは「コルセットから解放した」といわれているのは有名ですね。
ですが実はシャネル以前にポール・ポワレ、ランバンなどがすでに始めていて、
シャネルが先陣をきったわけではないそうです。
ただ、機能的な側面を考えると、シャネルの功績はとても大きく、
そのファッション哲学は女性の社会進出の先駆けとなりました。

例として、身軽で動きやすい服を求めて男性用の下着に使われていたジャージー素材にを取り入れたり、
紳士ものであるツイード素材を女性用スーツに仕立て、女性がパンツを履くなどのスタイルを提案しました。

シャネルはまた、喪服でしかなかった黒をファッションの色として取り入れます。
このことに関して、「きらきらした衣装を作るのは簡単でも、リトルブラックドレスを作るのは難しい」と語っています。
その他、ベージュ色を好み、「本当の大地の色」として、ジャージのスーツに織り込みました。
女性にとってとても機能的で動きやすく、かつ上品で美しいシルエットは今のシャネルの原点でもあるのですね。

1921年、あまりにも有名なオードゥ・パルファム「NO.5」が登場。
名前の由来は、番号が付けられた実験ボトルが並ぶ研究室で、
シャネルが5番目のサンプルを取り上げ「これにするわ」と言ったため、となんともシンプルな理由でした。
服飾ブランドが香水をリリースしたことは大変珍しいことでしたが、
高価すぎるオートクチュールなど服飾ブランドから、手の出しやすい比較的安価な香水や化粧品をリリースし、
ブランド顧客にするという手法は現在では、いたるブランドが行っていることです。

シャネルはスーツを中心に、1964年A/Wの「パンタロン・ルック」などシンプルで着易い服を提案しました。
戦前のころと同様の、黒のテーラードスーツをメインにしたコレクションを発表。
当時パリのジャーナリストからは「変わらないシャネル」と評価は良くはありませんでしたが、
現在でも愛されるテーラードスーツを代表としたシャネルのデザインは
「変わらない」からこそ愛され続けているのかもしれません。
1971年に、住居としていたパリのホテル・リッツにて、87歳でこの世を去りました。
なんと驚くことにコレクションの準備中、とまさに働きどおしのファッションに身をささげた人生でした。

シャネルの死後、ドイツ人ファッション・デザイナーのカール・ラガーフェルドがデザインを担当し、
その意思は現在にまでも引き継がれています。

ファッション

グッチの始まりと歴史

前回はフランスを代表する、ココ・シャネルの歴史を紹介しましたが、
今回はイタリアを代表するブランド、グッチの歴史に迫りたいと思います。

まず、ブランドの始まりから。

1921年、グッチオ・グッチがフィレンツェのヴィーニャ・ヌォーヴァ通り(7 Via della Vigna Nuova)に
旅行鞄や馬具を取り扱う皮革製品店として創業しました。

創業者グッチオ・グッチ(Guccio Gucci)は1881年、イタリア・フィレンツェ生まれ。
彼のコンセプトは「最上の伝統を最上の品質で、しかも過去の良いものを現代に反映させる商品作り」。
グッチは世界で初めてデザイナーの名前を入れて商品を販売したといわれています。
品質保証を示すためです。自らの頭文字をあしらったダブルGのモノグラムは言わずと知れたロゴですよね。
今では当たり前の「ブランド名刻印」のはじまりはグッチオ・グッチによるものでした。

ファッション

1953年、グッチオの死後、息子アルドが経営の中心となり
65年ビットモカシン(グッチといえばこれですね!!)、レディスウェア、
70年代に香水を発表し、ブランドのラインナップを増やしましたが、
80年代に入ってから、親族間でグッチの運営を巡って血族間闘争に至ります。
この影響を受け、グッチのブランドとしての勢いも低迷。
闘争の後、グッチオの孫にあたるマウリッツィオの手に渡ることとなります。

グッチの代表作ビットモカシン。
この靴は革製品の1ブランドから服飾品全般のラグジュアリーブランドへと大変貌する、
同社の方向性を決定付けた商品とも言えます。
なぜなら商品の着眼点も時流を先読みした、極めて鋭いものだったから。
この靴は明らかに、第二次大戦前後からアメリカの大学生を中心に人気の出だしたローファーをベースにしたもの。
その甲部に例の金具をあしらうことで贅沢さを漂わせ
「大人の男性が履いても、子供っぽく見えないカジュアルスリッポン」なる新たなカテゴリーを創造し、
言わば「ローファー卒業生」の受け皿を提供したのです。
そう、新しいもの好きのアメリカで受けるべくして受けた靴ということです。

グッチはブランド戦略に長けていたというのは言うまでもありませんね。

ファッション

血族間闘争後、マウリッツィオは復活を目指し奮闘します。
89年グッチ復興を願って当時、バーグドルフグッドマンの女性社長だったドーン・メロウを
クリエイティブ・ディレクター兼副社長として招きます。
彼女はジェフリー・ビーンのデザインチームにいたリチャード・ランバートソンを採用。

90年、マーク・ジェイコブスが率いるペリー・エリスで同社のブリッジラインにて
スポーツウェア(カジュアルウェア)をデザインしていたトム・フォードをレディスのデザイナーに採用。
彼は、ほとんど一人でウェア、アクセサリー、ギフトなど、グッチの11にも及ぶラインのデザインを手がけ、
いずれもコレクションは好評を博し、グッチを復活の兆しを見せ始めました。

フォードは、マウリッツィオから指示されていたエレガンスなクラシック路線ではなく、
モードを打ち出し、やがて、そのデザインは人気を集め始めます。
93年には2億ドルだった売り上げは99年には12億ドルまで拡大。

99年、LVMHの敵対的買収を避けて、フランスの流通大手PPR社の傘下に入ります。

経営手腕もあり、グッチは急速に事業を拡大させていきます。
1999年、セルジオ・ロッシを買収。
2000年、宝飾メーカー、ブシュロンとイヴ・サンローランを買収。
2001年、アレキサンダー・マックイーンの株式の51%を獲得。
その後、バレンシアガの株式資本の91%を所有し、次々にグッチの傘下におさめていきます。
また同時期に、皮革メーカーだったボッテガ・ヴェネタを買収。
2002年には、グッチグループからステラ・マッカートニーがデビュー。

ファッション

2001年、トム・フォードがイヴ・サンローランリヴ・ゴーシュのデザイナーにも就任しグッチと兼任するなど、
フォードとデ・ソーレは影響力をフルに発揮しました。
約10年間に渡る大活躍のデ・ソーレとフォードでしたが、
2004年4月30日付で退任したのは記憶にあるかと思います。
ブランド・コントロールの問題で親会社PPRと対立したのが原因と言われています。

2004年5月より、フォードの後任として、レディースウェアラインのクリエイティヴ・ディレクターに、
アレッサンドラ・ファキネッティが就任。
尚、メンズウェアラインはジョン・レイが、アクセサリーラインはフリーダ・ジャンニーニが担当しました。

2005年、ファキネッティが、方針を巡る意見の相違を理由にレディースウェアのクリエイティヴ・ディレクターを辞任。
後任にジャンニーニが就任。
2006年ジョン・レイがメンズウェアのクリエイティヴ・ディレクターを辞任。
このときも後任には、ジャンニーニが就任し、
結局、ジャンニーニが、グッチのレディース・メンズライン、アクセサリーラインをすべて努めることとになりました。

フリーダ・ジャンニーニの、セクシーさの中にフェミニンな要素が含まれるファッションは好評で、
コレクションの時の彼女のファッションまで話題になっています。

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